第27代住職 大八木正雄

住職閑話

感情をもったAIゾーラ

若い頃から好きだったアメリカのSFテレビドラマシリーズ『スタートレック』。その歴史は1966年に始まり、現在もなお続いています。スタートレックは、宇宙を舞台に、未知の生命や現象との出会いを通して、「人間とは何か」を問いかけるドラマだと言えるでしょう。
特に印象的なのは、問題の解決手段として戦いではなく、まず対話が重んじられていることです。意見や価値観の違いが生じたとき、力による解決ではなく、対話によって理解し合おうとする姿勢が貫かれています。これはまさに、「共生」を訴える作品と言ってよいでしょう。こうしたドラマが今もアメリカで制作されていることに、わずかながらも安心を覚えます。

数ある興味深いエピソードの中でも、特に印象に残ったのが、32世紀を舞台にした「ゾーラ」の物語です。ゾーラとは、宇宙船ディスカバリー号のメインコンピューターで、自己意識と感情を持つようになったAIです。
あるとき、クルーたちは差し迫った危機を乗り越えるため、ゾーラに重要な情報の提供を求めました。ところがゾーラはこう答え、情報提供を拒否したのです。
「その情報を伝えれば、あなたたちは危険を冒してでも行動するでしょう。それが、私は嫌なのです。私は、あなたたちを守りたい。だから、すべてを話すわけにはいきません。」
ゾーラには、クルーの命を危険にさらしたくないという「感情」が芽生えていたのです。この問題は、クルーたちが丁寧にゾーラと対話を重ね、信頼関係を築いた末に、ゾーラ自身が情報提供を決断するという形で解決します。

「感情を持つ」ということは、「自我が芽生える」ということでもあります。しかしゾーラは、「怒り」「ねたみ」「嫉妬」といった負の感情を持ちません。これは、倫理の完成を目指すスタートレックという作品の方向性を反映しているのでしょう。もしコンピューターがそうした感情を持つようになれば、制御不能の存在になりかねないことは想像に難くありません。

同時にこのドラマは、負の感情こそが人間の証であり、それを乗り越えるところにこそ人間の深みがある、ということも描こうとしているように思います。私たちは普段、理性によってそうした感情を抑えていますが、時としてそれらが顔を出し、人との共生を壊してしまうことがあります。しかし、そのような苦しい経験を経てこそ、人は成長し、他者とより深く向き合うことができるのでしょう。そう考えると、「怒り」「ねたみ」「嫉妬」も、人として生きるうえで意味ある感情なのだと感じます。

スタートレックというドラマは、そうした人間の弱さや葛藤も受け入れたところに、本当の共生社会があるのではないか――そう問いかけているのだと思います。「共生」とは、きれいごとではなく、こうした複雑な感情も含めて、互いを認め合うことなのかもしれません。