中国五台山 竹林寺 妙江師筆「妙響哀鸞聲」
哀鸞声
哀鸞声 〜悲しき鸞の聲〜
鸞は、中国の伝説の鳥で、鳳凰とよく似た姿をしており、大変清らかな美しい声で鳴く鳥とされています。この鸞について、次のような中国の古事があります。
「ある時、カシミールの王さまは美しい鸞の鳴き声が聞きたくなり、やっと一羽の鸞を買うことが出来ました。ところが、この鸞は一向に鳴こうとしません。王さまは鸞の機嫌を取るため、黄金の飾りをつけたり、珍しい食べ物を食べさせたりしてみましたが、鸞は鳴かず、とうとう三年が経ちました。
そのことを知ったお妃さまは、「鸞は仲間がいないと鳴かない鳥だと、以前聞いたことがございます」と王さまに言いました。「しかし一羽しかおらん…。どうすればよい?」と王さまが尋ねると、お妃さまは「鸞の前に鏡を懸けてみてはいかがでしょうか。鸞は鏡に映った自分の姿を、仲間と間違えて鳴くはずでございます」と答えました。早速、王さまは鸞の前に一枚の鏡を懸けてみました。すると、鸞は天の果てまで聞こえる美しく悲しげな一声を発したのです。その声を聞いた人々は、我を忘れ、天を仰いで溜め息を漏らしました。しかし、鸞は一声の後、息絶えました」
少し悲しい話ですが、考えさせられることがあります。
鸞は鏡に映った自分の姿を見て、最も美しく哀しみに満ちた声で鳴きました。その声を、中国の法照禅師は『五会念仏略法事儀讃』の中で、「梵音は三千(大千世界)を超え 哀しき鸞の声が妙に響く」と讃えられました。鸞の声は、梵音つまり仏さまの声であり、「哀しき鸞の声」は「仏さまの大悲の声」と示されたのです。
鸞は、仲間がいるからこそ鳴くことが出来る鳥、自分ひとりでは鳴くことが出来ない鳥でした。それはあたかも、「私は一人で生きているのではなく、みんなと共に生きているのだ」と、命の限り知らせている鳥のようです。つまり鸞は、「あらゆる存在は関係し合っていて、単独で存在するものはない」という仏教の根本的な考え方である「縁起」を伝える鳥であったのです。しかもその声は、真に清らかで、人々の心の奥底へ届く声でした。まさに、仏さまの大悲の声であります。
この鸞の哀しき声は、仏教の伝統音楽である聲明となって、今に伝わっています。
称六字