
第27代住職 大八木正雄
住職閑話
2025.01.31 鬼は外 福は内
今年も、2月は節分のお話です。この時期になるとテレビなどで「今年の恵方(招福)の方角は○○です。そちらを向いて恵方巻を食べましょう」といって恵方巻をほおばるシーンをよく見かけます。(因みに今年は西南西の方角だそうです)ついつい、「日本は平和だなあ」と感じる瞬間です。一方、この習わしは、毎日の食事の献立に頭を悩ませている主婦・主夫の方々から、献立を考えなくて済むから有り難いとも聞こえてきますので、そういう意味では消極的な招福と言えるかも知れませんね。
そもそも節分は神道の行事でしたが、先月の閑話「鏡餅」と同じように、平安時代頃には仏教でも行われるようになりました。節分の行事とは、立春という季節の大きな節目に、鬼(邪気災い)は外へ、福(幸せ)は内へと邪気払い・招福を神さまに祈る事でした。それが仏教に取り入れられ、鬼を煩悩とみなして「自分の心に住んでいる鬼(煩悩)を追い払う行事」というような意味付けがされたこともありましたが、どちらかと言えば、元々仏教にあった祈願的信仰と結びついて、そのまま邪気払い・招福を仏さまに祈る行事として定着していったようです。
ところで、私はその招福、「福は内」が少し気になります。人間にとって福とは一体何だろうかと。すぐに思いつくのは宝くじの当選です。「ドリームジャンボ」の当選!まさに夢ですねと言いたいところなのですが、何となく釈然としません。そこで、最近はやりの生成AI(人工知能)に「宝くじに当たって幸せになった人、不幸になった人、どちらが多い?」と聞いてみました。そうしたら
①幸せになった人 :約30% (生活を大きく変えず計画的にお金を使えた人)
②変わらなかった人:約20% (当選金を貯蓄し、慎重に使った人)
③不幸になった人 :約50% (浪費・詐欺・人間関係の悪化で破産や離婚した人)
という結果が出てきて、なんと、半数の人が不幸になっているではありませんか。もちろんこの数字を鵜呑みにしてはいけませんが、巷から聞こえてきたウワサ通りで、改めて驚きました。やっぱり、宝くじの当選は「危うい福」だなと思いました。
実は、この「危うい福」は宝くじだけに限ったことではないようです。私達が求める幸せ、形のあるもの、形のないものを問わず、全ての幸せに通じているように思います。つまり、「福は内」の福には、必ず鬼が潜んでいるということ、鬼のいない福はいないということです。
だから、「鬼は外、福は内」は、一旦外へ追いやった鬼を、もう一度招き入れてしまっているのです。残念ながら、いつまで経っても、私の心には鬼が住み続けていそうです。