第27代住職 大八木正雄

住職閑話

人間の脳の話

テレビ等のコメンテーターとして活躍される脳科学者の中野信子先生が、昨今の加熱している選挙関連のニュースに関して、驚くべきコメントをされていました。

「人間の脳には真偽を判断する領域は存在しない。容姿や振る舞いなど真偽とは関係ない基準で判断が下されることも…」

驚いたMCの方が「(人間の脳には)真偽を判断する領域は存在しないんですか?」と改めて問い直すと、「ないんですよ。どっちが本当と判断する領域はないんです。だから『羅生門』みたいな感じになっちゃう。それぞれの視点では全部正しい。だけども、現実には起こっていることが違ったりするので、問題になる」と。その上で、実際の判断基準は「自分にとっての利害と、美しいか美しくないか」と指摘され、「子どもを集めてきて、きれいなお姉さんが言ってることと、そうでないお姉さんが言ってること『どっちが正しい?』って聞くと、美しいお姉さんを選んだりするんです」と仰っておられました。

これにはびっくりしました。「正しいか正しくないか」、私達の悩は判断出来ないということです。じゃあ、現実に何を基準にしているのかというと、「利害や容姿などだ」と仰るのです。なるほど…。得であったり、美しいと判断されるものは「正しい」と思い、逆に損であったり、美しくないと判断されるものは「正しくない」と思ってしまうということです。言われてみればそうかも知れません。

例えば、「社会の常識」。これって社会にとって得であることの総称ということができます。逆に損を与えるものは「非常識」です。だから、「常識」も「正しいか正しくないか」ではなく、「損か得か」等で判断されています。その悲劇が戦争、両方の「常識」の戦いです。振り返ってみれば、人間の歴史は争いの歴史でした。大きくは世界大戦から、身近な夫婦げんかに至るまで、損か得か、美しいかそうでないかで戦ってきたのです。残念ながら、人間には「正しいか正しくないか」を判断する能力が無いようです。

ひょっとしたら、そもそも人間の世界には「正しいこと、正しくないこと」って存在しないものかも…。だから、それを判断する能力も当然不要となる。そのように考える方が自然です。みんな「正しいこと」って大切だと思っているのに、実際にはそれは存在せず、あるのは損か得か、美しいかそうでないかで判断している心…。

仏教では、「正しい、正しくない」は、人間界ではなく仏さまの世界のことと考えます。仏さまは、「損と得」や「美しいと美しくない」から命の問題の「生と死」に至るまで、あらゆるものに優劣や善し悪しをつけず、平等に見ることを「正しい」と仰るのです。さて…、人間には出来ませんね。