第27代住職 大八木正雄

住職閑話

古時計

拙寺の床の間に鎮座する古時計。熊本阿蘇市の宮川時計店さんからやってきました。古時計は、コンディションを保つことが難しく、こまめな手入れが必要なのでしょう。なにより、ゼンマイを巻かなくてはいけません。この時計は、1週間に1度程度巻けばいいのですが、根っからの不精者である私にはそれがなかなかおっくうで、気がつけば止まっていた…。

古時計には、自然な存在感があります。時計はまさに時を刻む機械ですが、時を刻むにつれて増してくる不思議な味があります。それを製作した職人の心が宿っているからでしょうか。古時計には、その時代の流行を取り入れながらも、職人の思い入れや、技を見つけることが出来ます。それらが、時間と共に色あせるどころか、いぶし銀のような光を放ち始めるのです。新品の時は周りの景色とギクシャクして、これ見よがしな存在だったものが、時を刻むにつれて共に調和し、丸みとか温かみが生まれてくるのです。どのような環境にも自然に溶け込んでしまうのです。自然な存在、それが古時計です。

私達は、歳を取ることをあまり良しとしません。老より若のほうがいいと思いがちです。確かに、身体が思うように動かなくなることや、記憶が曖昧になることなど、歳とともに人間の機能は劣化していきます。それが良くないことなのでしょう。でも古時計のように、歳をとる毎に丸みとか温かみが生まれてきて寛容になり、どのような環境にも自然に溶け込んでしまう、そのような一面も出てくるはずです。そう、出てくるはずなのですが…。

何が、それを邪魔しているのでしょうか…。