第27代住職 大八木正雄

住職閑話

「『あきらめる』と『受け入れる』は、同じ意味の言葉やからな」(ガネーシャ)

このタイトルは、水野敬也著ベストセラー啓発本『夢をかなえるゾウ4』に出てくる、ガネーシャという神様の言葉です。ガネーシャは、ゾウの姿をしたヒンドゥー教の神様ですが、たばこは吸うは、博打はするは、しかも何故か関西弁で、怪しさ満点です。しかし、人情に厚く、その類い希な智慧でクライアントの夢を叶えていくのです。そのシリーズ4作目は、最愛の妻が不治の病にかかり、その死を夫(妻)がいかに受け入れるか、「少しでも長く生きていてほしい(生きていたい)」という夢を手放す方法が描かれています。
妻の延命の為あらゆる手段を講じるがうまくいかず、もだえ苦しんでいる夫にガネーシャは「ある夢にこだわって、実現しようと努力し続けるんは素敵なことやけど、その夢に縛られて不幸になってもうてるなら、手放さなあかんときもあるかもな」と言い、少し間をあけて「『あきらめる』と『受け入れる』は、同じ意味の言葉やからな」と続けました。この後、その受け入れ方をガネーシャは課題を通して示していくのです。

「あきらめる」は 「諦める」と書き、この「諦」は「真実」や「悟り」の意味を持つ字です。つまり「あきらめる」とは、放り出したり、投げ出したりすることではなく、真実の眼(まなこ)でみること、あきらかに見ることだったのです。死は、真実の眼でみると、否定したり、遠ざけたりするものではなく、当然のこととして受け入れるべき出来事であることを、ガネーシャは伝えたかったのでした。

本中のこの言葉は、死という人間にとって最も受け入れがたい出来事を対象として語られた言葉でしたが、あらゆる出来事に対してもいえることです。例えば、人間関係で、苦手な人、嫌いな人、受け入れがたい人を否定し、遠ざける事によって、ますます関係が悪化していった時、勇気を出してその人を受け入れた事によって、新たな世界が広がり、関係が修復される事はよくあります。

ただ、このように言葉で言うのは簡単ですが、正直言って、どうしても受け入れられないことがあるのも私です。だから、もだえ苦しむのです。仏さまのお慈悲というのは、ここに働いているのでしょうね。有難いことです。

称六字