第27代住職 大八木正雄

住職閑話

啓蟄のころに思うこと

啓蟄(けいちつ)のころになると、冬のあいだ土の中でじっとしていた虫たちが、春のぬくもりに誘われて地上に出てくるといわれます。まだ冷たい風の残る日もありますが、やわらかな日差しにふれると、季節が確かに動いていることを感じます。虫たちが目を覚ますのは、春の日差しの温もりがあるからでしょう。

私たち人間もまた、温もりによって目を覚ますことがあるように思います。ここでいう「目を覚ます」とは、朝の目覚めのことではなく、「人生の意味」に目を覚ますということです。人の温もりによって、例えば「損か得か」といった日常の物差しでは測れない喜びに出あうということです。

ところで、皆さんは「自分は運がいいと思いますか?」と問われたら、どのように答えられるでしょう。それぞれ、ご自身の人生を振り返られ、世間と比較しながら答えを出されることでしょう。実はこれ、松下幸之助さんが採用面接で問いかけられた質問なのです。そして、運が良いと答えた人を採用したといわれています。これは「自分が今日あるのは、周囲の支えや環境(運)のおかげである」と自覚する視点を重視されたためだったのでしょう。

会社の就職面接ですから、少し特殊な状況かもしれませんが、ややもすれば自分のことばかりを考えて、周囲の人の思いや苦しみにまで心が及ぶ余裕がない人は採用しないということなのでしょう。松下幸之助さんご自身が、人とともに生きているということをとても大切にした人だったからです。

しかし現代は、「人とともに生きている」ということが実感しにくい時代かもしれません。面倒な人との付き合いは避けようとする傾向があります。例えば、「挨拶はするが、その後の雑談に繋がらないよう、すぐに目を逸らしたり立ち去ったりする」「職場であれば、イヤホンを装着して『話しかけるなオーラ』を出し、PCの画面に集中しているフリをする」など、こうした例はいくらでも思い当たります。しかし、そんな現代人でも、思いがけない親切に出会ったとき、どこか固くなっていた心がほどけ、人とともに生きていることの喜びが、静かに感じられることがあります。

啓蟄のころ、虫たちは温もりに触れて土の中から姿を現します。私たちもまた、人の温もりに触れるとき、自分が人とともに生きる存在であることに気づき、人間として目を覚ましていくのかもしれません。もう春の日差しは、私たちのところにも届いています。