第27代住職 大八木正雄
住職閑話
2024.08.01 お盆 明かりをともす魂
先日テレビで、動物彫刻家のはしもとみおさんが紹介されました。兵庫県出身のみおさんは、動物が大好きで幼い頃は獣医師を夢見ていました。しかし、15歳の時、阪神淡路大震災で被災し、動物たちの声が聞こえなくなってしまった状況に、「失ってしまった命は戻ってこない。死者に対する仕事が何か出来ないか」と思うようになりました。そこで、その動物にもう一度出逢えるような彫刻を目指されたのです。
みおさんの作品は、荒削りの彫刻感が印象的です。しかし、まるでそこに生きているような感じがします。みおさんは「明かりをともすような魂の器を作りたい」と、その荒削りの中にこそ、人を励ましたり慰めたりする動物たちの魂が表現出来ると仰います。一つの彫刻が「明かりをともす魂の器」になる、芸術の世界は本当に不思議ですごいですね。みなさんも機会があれば是非みおさんの作品に出逢ってください。
さて、大切なペットを失いぽっかり空いた心の穴を、みおさんの作品は埋めてくれますが、ただその作品はあくまでも動物で、人間ではありません。みおさんに限らず、私達は、寂しいからといって亡くなった人の肖像を造ろうとはあまりしません。せいぜい写真止まりです。どうしてでしょうか?
それは、きっと人間同士の関係が、動物との関係に比べて極めて複雑であるからだと思うのです。信頼していたけれど相手の心が見えない時もあった、愛していたけれど恨んだこともあった等々、複雑に絡み合ったホンネとタテマエ…。人間同士の関係は複雑で、どれだけの言葉を費やしてもちゃんと説明できないものです。そこには私の都合も見え隠れしますから、「明かりをともす魂となって…」というより「安らかにお眠りください…」の方が正直なのかも知れません。それでも、大切な人を失えば、やっぱりぽっかりと心の中に大きな穴が出来てしまう、それも本当のことです。
お盆。それは亡くなった人との関係を再構築する行事といえます。複雑な人間同士の関係に仏さまのお心が入ると、見えなかった亡き人の心、「明かりをともす魂」が見えてきます。それは、仏さまが言葉に語り尽くせない私の心模様をそのまま、そのままに受けとめられるからです。仏さまに手を合わせ、静かに「なもあみだぶつ」とお念仏申しますと、深く私を想う仏さまのお心に包まれ、ややもすれば自己的になりがちな私の心が変容します。そこに亡き方の「明かりをともす魂」が見えてくるのです。お盆をお迎えする大切な意味の一つと思います。