仙洞御所・九條公爵との御縁

霊元天皇が嘉智宮様菩提のため納められた観音象の厨子(右下)

開基円淳法印が九條道家公の御息男であった御縁で、代々の住職は何れとなく九條公との関係がありました。そのような中、人皇百十二代霊元天皇(在位1663-1687)が仙洞御所へお入りになられて20年程のちに、嘉智宮かちのみや様と申し上げる皇子様がご誕生されました。その時、九條公の御世話によって、当寺13代教従の娘おひさが、御乳人おちのひととして、仙洞御所に参殿致しました。専ら皇子様の御成育を楽しみにお仕え申しておりましたが、嘉智宮様は惜しくも5才で薨去されました。霊元院様は悲しみやるせなく菩提の為、御乳人であったおひさに西国観音三十三箇所の巡拝を仰せつけになり、おひさは京都の盧山寺で剃髪して貞正となりこの大役を果しました。その後、正徳三年(1713)五月には、嘉智宮様の御位牌を、母君(お局様)の御邸(今の同志社大学の辺)から当寺へ御安置されました。


九条尚実公御染筆の寺号

本堂正面に掲げてあります正光寺の寺号扁額は、宝歴七年(1757)九條尚実公より頂戴いたしました御染筆によるもので、正面玄関の上の「勝宮殿」の木製額は、本願寺法如宗主の御次男闡教公が当寺に御宿泊の時、嘉智宮様の御位牌を拝まれその由緒を尊ばれ、明和六年(1769)一月十六日「勝宮殿」と命名され頂戴したものです。